Kunio nakamura biography of barack
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Biography of barack obama...
クニオ・ナカムラ
クニオ・ナカムラ(Kuniwo Nakamura、中村 國雄、1943年11月24日 - 2020年10月14日[1])は、パラオの政治家、元大統領(第6代)。日系人。
来歴
[編集]南洋諸島(当時は南洋庁管轄下の日本委任統治領)の中心都市・コロール(パラオ共和国の旧首都)で、ペリリュー首長部族の娘アリール・ベトックと三重県伊勢市大湊町出身の船大工・中村善七との間に8人兄弟姉妹の7番目として生まれた(二番目の兄のダイジロウは元パラオ議会議員で2006年から2009年にかけて駐日大使も務めた。三番目の兄のトシオはパラオ立法議会の長となり憲法の非核条項はトシオの主導で作成されることとなる。4番目の兄のマモルはパラオ最高裁判所初代判事長)。 戦時中はペリリューからパラオ本島アイメリークのエウレイ村に強制移住、2歳の夏、日本の敗戦によってパラオは米国の信託統治領「太平洋諸島信託統治領」となる。
ナカムラ一家は父の故郷の日本に引き上げるが、食糧不足と差別のため一家はパラオに戻る。パラオは母系制社会であるため、子供たちの帰郷には問題は無かったが善七のパラオ在住許可を得るため一家は苦労する(1955年に永住許可が出された)。クニオは日本語教育を受けていない(晩年は多少、日本語は喋れたようである)。ペリリューで幼少期を過ごす。
バプテスト教会牧師の家に寄宿しグアムのタモン高等学校(現在のジョン・F・ケネディ高等学校)を卒業した後、ハワイ大学に進学。島に戻ってからは、教師となった。
政治家として
[編集]1967年にミクロネシア議会選挙に立候補。当時のパラオ政界の大物であるローマン・メチュールと争ったが落選。その後、国連信託統治領の経済アドヴァイザーやヤップ地区の経済開発職員を務める。1970年、アイメリークの有力部族の娘と結婚、これが後に政治的に大きな財産となる。
1978年、憲法制定会議のメンバー38人の中に兄のトシオとともに選ばれる(クニオはコロール州、トシオはペリリュー州選出)。1981年、パラオ独立に向けた第一歩として、自治政府が発足。憲法も制定され、いわゆる非核条項が国際的に注目された。これは核など有害物質を国内に持ち込む可能性のある外国との条約・協定には住民投票で75%以上の承認が必要